犬伏稔昌は遅咲きの左殺し。伊原春樹監督によって抜擢されて一瞬の輝き。
80~90年代に西武ライオンズへ捕手として入団した選手は気の毒である。
伊東勤という大きな壁が立ちはだかり、絶対にレギュラーの座を獲る事が出来ない。
打撃の良い選手は他の守備位置にコンバートされ、そうでない選手は、そっと球団を去っていく事になる。
犬伏選手は1990年にドラフト3位で捕手としてライオンズに入団する。
まさに伊東の絶頂期である。
もし違うチームに入団していれば、犬伏も早く1軍でデビューを果たしたに違いない。
環境が変わればプレーヤーも変わるものである。
しかし犬伏選手は2002年まで12年間もベンチを温めるか2軍暮らしを強いられる事になる。
その間に何人もの捕手が退団をして行った。
12年間もの間、1軍で殆ど出場しないのにクビにならない選手。非常に稀であると言っても過言ではあるまい。
その、「大きな壁」伊東勤が年齢的にも衰えて2001年のオフにフロントから監督を打診される。
伊東は、この打診を固辞し現役続行となる。
これが犬伏にとっての転機となった。2002年の事である。
フロント側は伊東に代わる捕手を早急に育てるという方針を立てるのだ。勿論、他の選手が出場する機会が増える事になる。
しかも伊原春樹が監督に就任し、犬伏の左投手に対する打撃の良さを見出され、なんと3番バッターとして大抜擢される。
12年間も2軍暮らしの男がいきなりクリーンアップである。しかも犬伏は期待に応える活躍をする。打率.307。規定打席には達しないが素晴らしい活躍と言っていいだろう。
彼の存在がファンに知られるようになると「猛犬注意!犬伏稔昌」という応援フラッグが掲げられる。
2002年6月20日。代打逆転サヨナラスリーランを放つ。
彼のプロ野球生活の中で最良の日である。ファンも狂喜乱舞した。
そして犬伏はファンにとって忘れる事の出来ない存在となった。
犬伏の辛抱強さ。そして来るべきチャンスの為の準備を怠らない姿勢は野球以外でも、大袈裟に言えば人生にも通用する事ではあるまいか。
2005年引退。
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